巻頭言
異文化間相互理解をめざす国際比較調査を


林 文
(東洋英和女学院大学)
 北海道でアライグマの野生化が問題になり、生息数調査とともに捕獲を行っている。アライグマはペットとして飼われていたものを飼いきれなくなって捨てたものが、強い繁殖力で増えてしまったようだ。北海道ばかりではなく全国で同様の現象があるが、特に北海道ではメロン農家などへの被害もあって問題化されている。人間の勝手から生じたことは確かだが、対策は難しく、専門家の中にも様々な意見がある。苦肉の策の捕獲作戦にも反対が出る。人々の思いもまた勝手なものではあるが、なるべくなら納得できる方法をと思う。そういった問題意識からインターネットでアライグマを検索すると、多くがペット動物としての情報であるのに驚く。納得できることとは何だろうか。

 このような人々の心を世論調査で把握できるであろうか。また、調査結果をどのように解釈したらよいのか、これはまた難しい。多い回答を対策に用いるというのはあまりに無策である。よく知られていることであるが、判断の難しい外交政策について世論調査をし、支持の多い政策で交渉を成立させたところ、今度は反対の意見支持の方が増えてしまったという古い例もある。そのような変化を考えると、調査方法でカバーできるものではない。世論とはある意味では信用のできないぐらぐらしたものなのである。環境対策も正に判断の難しい問題の一つであろう。調査の結果を直接に対策に使えることもあるが、その奥にあるぐらぐらしたところのあることを捕らえるのも調査の役割である。長い目でみればそれも含めて世論の動きがわかることが大切である。

 さて話は広がるが、近年、世界の文化間の理解のための比較調査の重要性が認識される一方、その困難さも明らかにされてきた。昨年の統計数理研究所グループによる中国調査によると、自然と人間の関係(自然に従う、自然を利用、自然を征服)についての考えと、経済発展と環境保護とどちらを優先すべきかの考えの間の関連は、私には理解ができない。単純に理解できない構造があることがわかったのである。これがわからなければ、対策にもつながらないが、わかるまで調査を繰り返していては時を逸してしまうかもしれない。調査によって完全に信頼できる政策を決めることは不可能であるが、政策も徐々に調整していく、その過程を通して異なる文化間でも納得できるものに近づくことを期待するのは、夢に過ぎないだろうか。


これは「よろん」92号に掲載されました。