巻頭言
世論調査のいま


村田 貞雄
(個人会員)
 前政権末期には内閣支持率調査が頻繁に実施され、結果が公表されるたびに取りざたされたのは記憶に新しいところである。それらの論評のうちには世論調査の意義に関するものや、世論調査への注文に類するものも見受けられた。ここではそれらの類型のいくつかについて私見を述べさせていただく。

 まず、頻繁な支持率公表は政権運営に影響を与え好ましくない、という立場がある。政権に対する評価は制度上、選挙を通じてなされるべきものであり、結果的にせよ世論調査はそれを先導すべきでない、とするものである。しかし、これはあまりに形式的な主張のように思われる。たしかに調査結果という「知」は力であり、その公表は諸般の影響を及ぼすであろう。だが、ミシェル・フーコーを持ち出すまでもなく、知の力は権力との相即性抜きに論じることはできない。支持率が高ければ権力からは好まれ、低ければ嫌われることになる。支持率の高低によって論者の立場も変わるのであろう。

 世論調査への注文としては主に二つの類型がある。ひとつは質問項目も少なく、有権者の反応はとれるとしても、有権者の意見を聞いてはいないとするものであり、いまひとつは調査実施主体により質問項目に微妙な差異があり、数値の比較がやりにくいとするものである。

 前者の、より多くの質問による立ち入った結果を期待する気持ちは理解できるのだが、主として電話による短期間の調査ではフィールドに過大な負荷はかけられない。ひと時代前に比べれば技術面、制度面でRDDによる調査が日本でもやっと定着しつつある現状では、これは中期目標といったところであろう。

 後者の各社間の比較可能性については時系列データの分析等を通じた、説得的な説明の試みが、いずれ行えるようになる可能性に期待したい。

 なお、世論調査とは手続き的には異なる、ネットを通じた意見集約の試みは、今後ますます盛んになるであろう。それらの結果はたとえ公表されたとしても数量値として信頼できないが、自由回答の公表はデータの種類の多様性をもたらし、主題についてのサーベイとは異なった質の知見を得るのに役立つであろう。


これは「よろん」104号に掲載されました。